トウェンティフォーマン野口英世

野口英世(1876生~1928没)と聞くと人々はどのような人物像を思い描くであろうか?ノーベル賞候補にも複数回ノミネートされた高名な医者であり、数々の逆境を勉強により乗り越えて来た不屈の人物といった逸話がよく見られる。『遠き落日』(渡辺淳一)は野口英世の生涯を描いた小説だが、この作品の中にはあまりに描写されてこなかった彼の実像が数多く登場する。
彼は福島県耶麻郡三ッ和村の農家に生まれた。彼の父は放蕩者で収入を殆ど酒代につぎ込んでしまっていたという。幼少期に囲炉裏に落ちた彼は左手が癒着する大火傷を負い、近所の子供たちから「てんぼう」と罵られいじめられていたが、その優秀さは当時から際立っていたという。小学四年生には教師の代わりに教壇に立ち、授業を行っていたときさえあった。
高等小学校を卒業後、彼は上京し東京で開業医の弟子入りをした後にほぼ独学で医術開業試験を通過した。当時は医学校の卒業生でなくとも、狭き門ではあるが独学で医師国家試験を受験して医師になれる道が残されていたのである。
この時期の彼の勉学に打ち込む姿勢には凄まじい物があり、自分をナポリタンに例え、深夜まで医学の勉強をし、更に英語、ドイツ語、フランス語もマスターした。しかしなが医学の資格を得たとはいえ、彼の生活は楽ではなかった。その主な原因は彼の度を越した浪費癖であった。
野口英世はかなりの借金魔であり、身近な人間からは常識の範疇を超える借金をしばしばし、その殆どを踏み倒した。更に宵越しの金は持たない主義なのか金はあるだけ付きこんで放蕩した。やはり血は争えない部分があるらしい。後に彼が渡米した際にもその時の婚約者から支度金として受け取った金を一晩で散財した。
だが一方で彼の仕事に対する熱意は尋常ではなく、日常にプライベートの時間が殆ど存在しなかったほどである。昼夜問わず、彼は倒れるまで研究に没頭した。アメリカの自宅で彼はパジャマを着たことが一度もなく!靴を履いたままベットに入り、目を覚ますとそのまま仕事机に座った。このためロックフェラー研究所の仲間は彼を「人間発電機(ヒューマンダイナモ)」「24時間仕事男(トゥエンティーフォーマン)」などと呼び、「日本人は寝ない民族なのか?」と冗談交じりに言ったという。