規格外の ”スーパー“ニート ダーウィン

ASDの人々で傑出した異才を有する人々の中には、周囲からは変人と認定されることがままあるがこれは彼らが自身の興味の赴く方向性に特化しているため、社交性がほぼないことが原因とされていることが多い。今日の遺伝学の基礎を作った英国の科学者チャールズ・
ダーウィン(1809生~1882没)は自身の研究をまとめて出版した『種の起源』で進化論を唱え、当時のキリスト教の影響が色濃い時代で物議をかもした。

彼は幼少期より収集と散歩に長い時間を費やし、また学校の授業を嫌い、教室を飛び出し家に帰り、自分の部屋で収集したものの観察に熱中していた。そんな彼を見て周囲は変人と思っていた。ダーウィンは「貝殻から岩石まで、昆虫から鳥の卵まで興味を惹くもの」全てを収集していたとされる。特に彼は特定の生物の収集・観察に熱中する傾向が強く、フジツボ、甲虫、ラン、ミミズ等に強い関心を持っていた。因みにこの知的好奇心は子供が生まれてからも衰えず、彼の息子が友達に「キミの内のお父さんは何時にフジツボを観察するんだい?」とたずねるほどであった。ダーウィン家ではそれほどフジツボ観察は日常的な行為だったことが分かる。

またダーウィンは従姉であるエマと三十歳の時に結婚しているが、彼は結婚を決意する際に、結婚生活のプラス面とマイナス面を論理的に検討している。
マイナス面として挙げられたのが「フランス語の勉強も、ヨーロッパ旅行やアメリカ旅行も、
気球にも乗れなくなってしまう」「パンを稼ぎ出すのに恐ろしく時間を費やさなければならない」「家を購入したり、家具を買いそろえることのなんと大変なことだろう」等が気にかかっていたという。ただ、現代で言うニート生活を営んでいた彼だが資産家の父親に経済的に支えてもらっていたため、金銭面における憂いはあまりなかったものと思われる。因みに余談であるが、ダーウィンは同時代人であるマルクスに彼の著書である『資本論』をささげられたという逸話を持つが、専門分野があまりにも異なっているという理由から辞退している。マルクス自身もまた、社会における一般的な生活からは距離をおいており、親族の援助を受けつつ研究に没頭していた。マイナス面の一方で「子ども(神の思し召しがあれば)。永続的な道連れ(老後の楽しみ)。子どもは親に関心を持ち、親は子どもを愛する。一緒に遊べるし、確かに犬よりもいい。世話をしてくれる人のいる家庭。音楽の魅力、妻のおしゃべり」(ゲルハルト・プラウゼ『天才たちの私生活』文集文庫より抜粋)というのが彼の基準での利点であった。

結局ダーウィンは結婚し、十人の子どもを授かり幸せな家庭を築いた。一家はロンドンから郊外のタウンハウスに移り住み、彼は殆ど家の敷地から出ずに非常に規則的な生活を送った。散歩・研究・妻とのバックギャモン・食事を常道的に繰り返し、数十年間同じ生活を営んだ。少しでも日常生活のリズムが崩れると発熱してしまったという。更に彼は研究熱心ではあったものの一日四時間以上仕事を行うことが出来なかったとされている。ダーウィンは典型的なASDの人物の特徴を有していることが読み取れるが、彼の人生は非常に充実し
ていたと言える。実家の支援による金銭的援助も欠かせない要素であったが、彼自身が他者
との結婚生活を送る際に見せた論理的思考力がその支えとなったと思われる。ダーウィン自身も自分が一般的な社会生活を送ることが難しいと若い時分より自覚していたのかもしれない。発達障害を持つ人々の中には社会で稀有な才能を発揮しつつも、自分の居場所をどこにも得られなかったと感じ、心理的な孤立をかかえて一生を終えた人物が数多く存在するが、彼のように自身の性格を理詰めで検討し人生を上手く生きた人物の事例が存在することは面白い。