さくら ももこ

ADHDやASDに関する理解が後進的な日本においてはあまり発達障害の人間の持つマイナス面のみが取りざたされていることがままあるが、特定の分野において発達障害の人間が持つ特性は高い適性を持つ。具体例を挙げると漫画家やイラストレーター等の美術関連の職に就いている人間はADHDの事例が多いとされる。今回は発見されにくい女性の発達障害の人物として著名な漫画家であるさくらももこを扱う。
さくらももこ(1965生~2018没)によって描かれた国民的人気漫画『ちびまる子ちゃん』は雑誌『りぼん』で1986年から連載が開始され、今となってはテレビドラマやアニメにもなっており誰もが知っている作品である。
さくらももこは自らの生い立ちを『まる子だった』で自らの生い立ちを書き記しているが、全編を通じておおらかな不注意さが彩を添えている。冒頭の一節「『うわの空』の詳細」においても、彼女の子供時代における顕著な不注意さについて記述がなされている。
エッセイの一部を抜粋すると
「授業中私はいつでも自己流に過ごしていた。先生の話もみんなの意見も何もきいていないのである。」「では何をしているのかと言えば、雑誌の連載漫画のつづきを気にしていたり、自分の欲しいオモチャやペットの事を考えたり(中略)ノートの隅にらくがきしたり、まァいろいろとやる事はあったのである」と記されている。
授業に集中することが困難な彼・彼女らは、さくらももこがエッセイで述べているように白昼夢もしくはトリップ状態と言えるものにふけっていた。これはマインド・ワンダリングとも言われているものである。さらに彼女は周りの子供にちょっかいをしょっちゅう出して先生に注意されたり、「内職」をしていた。だだし当の本人には、常に何かを考えて頭を目まぐるしく使っていると思っており、決してぼんやりしているといった自覚は無かった。ゆえに母親から「あんたは毎日上の空で生きているから忘れ物や失敗ばっかりするんだよ」と指摘された際にはびっくりしたという。幼少期、ももこは姉と子供部屋で共同生活を送っていたが、昆虫やカエルを部屋に持ち込み飼育した上に部屋の片づけを行わなかったため、かなり迷惑がられたようである。他には借りた持ち物を返さなかったり、勝手に友達を連れ込んで大騒ぎをしていたという。これらのエピソードから『ちびまる子ちゃん』が本人の経験がネタの元になっていることがうかがえる。
さくらももこは短大に在学中に漫画家としてデビューし、卒業後に上京して就職したが、二か月で退職した。後に雑誌『りぼん』で『ちびまる子ちゃん』の連載を開始し、国民的人気漫画となったことはみなさんご存じの通りである。
最後に生前に親交があったビートたけしは、彼女について著書でこう述べている。
「さくらさんと話した中で、よく覚えているのが確かお祖父さんの亡くなった時のことだよ。お祖父さんは亡くなる前に時に口をポカーンと開けたまま死んじゃって、それを隠すためにほっかむりみたいなのを頭に巻いて納棺したんだって。本当は白いさらしの布がよかったんだけど、見つからないからしかたなく“祭”と赤い字で書かれた手ぬぐいで代用したんだよな。