平和の番犬チャーチルと“黒い犬”

“黒い犬”という言葉は英国の首相であったウィンストン・チャーチル(1874生~1965没)が
彼のうつ病を指す際に用いた言い回しである。これは彼の造語というよりかは古くからあ
った表現の仕方とされる。発達障害と精神的不安定な状態は関りが深い。今回はうつ病に
罹患しつつも傑出した功績を残した人物の例としてADHDの特徴があったチャーチルの半
生を見てゆきたい。
彼は政治家としての功績が有名だが、多彩な人物であり文筆家としても才能を発揮してお
り、『サブローラ』という冒険小説を出版し『第二次大戦回顧録』でノーベル文学賞を受
賞している。更には絵画の評価も高く、プロの画家としても通用する水準であると称賛さ
れていた。当時のケネディ大統領は「我々の時代の中で、人類の歴史の舞台に登場した、
最も尊敬され、最も栄誉ある人物」と大層な賛辞を送っている。
チャーチルのうつ病には若い頃より誘発されており、そのほとんどは政治的な敗北や幽閉
といった困難な状況下に置かれた際に起きるものであった。二十四歳の際、軍の士官であ
るとともにモーニングポスト紙におけるジャーナリストであった彼は南アフリカのボーア
戦争に従軍していた。彼は危険な戦闘にも何度か参戦している。運の悪いことに彼は捕虜
となりプレトリアの収容所に監禁されることとなった。この時に彼は“暗黒の気分”と呼ぶ
べき鬱状態に陥ったが、物理的に監獄を脱出することで症状を改善したというのがなんと
も彼らしい。
更には政治家となってからも彼のうつ病は定期的に訪れている。二十五歳の若さで下院議
員に当選した彼は国会で演説する機会を得たのだが、スピーチの途中に突然言葉を失い顔
を手で覆い隠してその場に座り込んでしまったという逸話が残されている。しかしその後
精神状態が安定し政界で活躍していたのは周知の事実である。
ところで彼はナチスドイツのヒトラー政権に対する侵攻に真正面から対決する姿勢を取り
、国民を鼓舞して戦った。この時彼は“平和の番犬”と人々に親しみを込めて呼ばれた。現
場にも顔を出して直に人々を励ました逸話もあり、空襲のすぐ後に焼け野原に飛び出して
街の人々に励ましの言葉を送ったことは有名である。おそらくこの戦時下において彼は軽
い躁状態にあったと思われる。
終戦直前、彼は一時政権を失っている1951年に首相の座に返り咲いている。チャーチル自
身も自分の精神的不安定さを解決しようと試みていたようで、モラン郷の診察を受けてい
た。この時代に抗うつ剤はまだ開発されるに至っていなかったので、中枢神経刺激剤を投
薬していたとの記録が残っている。
以上の事柄からチャーチルが躁うつ病あるいはうつ病に罹患していたことは事実であった
ように思える。しかしながら、チャーチルの個人史を紐解いて見ると異なる角度からの視
点が存在することが分かる。『チャーチル・ファクター』の著者で元ロンドン市長ボリス
・ジョンソンが指摘するには彼の特徴として挙げられるのが豪放磊落な一面を有していた
だけでなく、大げさでエキセントリックな部分があり無作法で不遜ともいえる行動を取っ
ていたということだ。具体的なエピソードとしてこのようなものがある。社会主義者の女
性議員とのやり取りの際に「あなたは酔っていいらっしゃるわね」と言われたが、「あな
たは不細工でいらっしゃいますね」と暴言のクロスカウンターをかましている。更には「
わたしの酔いは明日には醒めるだろうね」と続ける始末。なんとも濃い人生を送ったお人である。