2月14日はバレンタインデー、私にとっては、父の命日である。過去10年間の介護の事を思いだしていた。骨折の為父がリハビリを必要としている時、多くの病院を見学した。その際に、全く動けない老人が、胃婁(いろう)のチューブから栄養を取り、横たわっている病院や介護施設の存在は驚きであった。また、その数の多さに圧倒された。
海外では胃婁は、まだ生きられる若い年齢の人が、何かの事故や、病気の為、のどや消化器機能がダメージを受けた時に、行うが、寿命で機能が衰えてきている超高齢者に行う医療処置ではない。
何故日本では、食べたり話したりする楽しみの全くない、魂の死亡状態を作っても、自分の親が、1分でも1秒でも長く生きた方が良いと考えてしまうのだろうか?そして、何故このような処置をした後、病院に入院させらているのだろう?非常な驚きであった。
勿論、病院から、命を助ける選択肢として言われ、自分の決断で命を奪うのはと同意してしまったものの、その結果に悩んだ家族も多くいるかもしれない。しかし、人間は肉体だけで生きているのではない、魂があり、魂が死亡するような事態(様々な意味で喜怒哀楽を奪われる事)は、人道的とは考えられない。
人間は生きる為の肉体と魂を神から与えられる、役目を果たしたら、人生は終わりとなり、魂は天に引き上げられる。
生きている人間の肉体の一部(臓器)を、販売目的に奪う事が、人道的でないのと同様に、肉体だけを生き延びさせて、魂を死亡に近い状態に保つ事も、拷問では無いかと思う。勿論、病気等の為、栄養を取ることで、命を守る事ができ、社会活動に参加できる場合もあるので、線引きは難しいかも知れないが、体の機能が衰えてきている老人には、おいしい食事や、動物、子供、音楽、自然等プラスの刺激は効果があると思われる、一方で栄養だけチューブで与え、病床に寝かしておく事で快方に向かう訳はない事は、多くの人が分かると思う。
生きていても魂が死んだ状態であれば、人は抜け殻の様になる。感情が無くなり、忘れ去りたい過去は全て忘れてしまう。
人間は体である肉体だけで生きているのでは無い、心(魂が)生きる事を
愛のない言葉や、悪意のある言葉や思い、行動は魂を死亡させることもある、逆に愛のある思いやりや、感謝、他人の為に働きたいと思う気持ちは、その人の魂を蘇らせる。