激動の哲学者:ヴィトゲンシュタイン

ルートヴィッヒ=ヴィトゲンシュタイン(1889生〜1951没)は、二十世紀で独創的で力強く最も世界に影響を与えた哲学者、論理学者である。これの残した功績は今なお哲学、言語学、数学等々幅広い分野に影響を与え続けている。
ヴィトゲンシュタインはユダヤ系の家族の8人兄弟の末っ子として、オランダのウィーンで誕生した。父親のカールは「オーストリアのカーネギー」と称される程の資産家であり、彼は周囲の人間には薄情で冷酷であった。カールには失読症があったとされ、彼以外の一家にも精神疾患の影が色濃く付きまとうのがヴィトゲンシュタイン家の宿命だった。ヴィトゲンシュタインのいとこの一人は自殺しており、叔母も重度の精神病を患っていた。
ヴィトゲンシュタインも父カールと同じ失読症があっただけでなく、言語の発達の遅れが見られていた。言語学の権威が4歳まで上手く言葉を話すことが出来なかったというのは驚きだ!このような症状はアインシュタインにも見られ、ASDの特徴的な症状である。が、にも関わらず彼は10歳の頃に材木とワイヤーも用い、ミシンの実用模型を作りだしている。
ヴィトゲンシュタインは家庭教師による教育を経て、14歳にリンツの王立実業高校に入学した。一時はマンチェスター大学で航空工学の研究をしながら、物理学や機械工学を最初は志した。この当時から彼は通常の、人付き合いが全くできず、昼間一日中休憩を取らず研究をしては夜になって家で熱いお湯に浸かりながら自殺することばかり考えていたという。因みに王立実業学校にアドルフ・ヒトラーも偶然同時期に在籍していた。
後に彼は数学基礎論の研究に強い興味を持ち、ケンブリッジ大学の数学者バードランド・ラッセルに教わることになる。しかし、ラッセルの同僚ジョンソンの授業は一度しか受けなかった。理由は「最初の授業で全て理解できた。彼から学ぶことはもう何もない」とのこと。
第一次世界大戦が始まった際、彼は自ら志願して東部戦線に派遣され、激戦の中でも畏れずにロシア軍と戦い、いくつもの勲章を授与された。また一方で、戦時中に彼は自分のノートに哲学や論理学に関するアイディアを書き込んでいた。戦後これが『論理哲学論考』として出版されることとなった。………論理とは一体何なのだろうか?
彼は他人の感情に無頓着であり、教師の道(!)を選びオーストリアの群部で小学校教員となった。しかし、常に地元の人間に侮蔑的な態度で接し、トラブルを頻発した。
内気で何を考えているか分からず、たびたび「俺は馬鹿だ」とか、「君たちはろくでもない教師を持ったものだ」とか、「今日の私は全くくだらない!」といった発言を繰り返していたため、彼は幾分「頭のおかしい人間」とみなされていた。他の人が話を始めた場合、「君は間違っている!」「違う、そう言う問題ではない」と言って話を遮った。こういった他人と会話が成り立たない態度はASDの特徴である。ところがケンブリッジ時代の彼は若い数学科の生徒(男性)を恋人にしており、十年余りお付き合いが続いたというのだからますます分からない。
そしてヴィトゲンシュタインは1951年に知人の医師の家で生涯を終えた。彼の最期の言葉は「素晴らしい人生だったと彼らに伝えてくれ」というものだった。
何とも魅力的で濃過ぎるヴィトゲンシュタイン先生です。