孤立の天才アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879生~1955没)は、現代物理学の基礎を築き上げた天才の代名詞ともされる人物であり、時間と宇宙の概念を大きく変えた変革者でもある。彼の生前の行動にはASDの特徴が色濃いものが多い。
アインシュタインはドイツのバーデン・ウルテンバーグ州のウルム市でユダヤ系の長男として生まれた。彼には言語発達の遅れがあり、7歳までスムーズに会話をする事が出来ず感情が爆発しやすかった。また、言われたことを繰り返す癖があったとされているが、これは「反響言語」と呼ばれるものでASDの児童によく見られるものである。さらに彼は他人とのアイコンタクトを極力避けた学生生活を送っていた。
学校では数学で優秀な成績を修め、十二歳の時に学んだユークリッド幾何学に深い感動を覚えたため、ユークリッド幾何学は神聖な書物とまで述べている。その三年後、彼が十五歳の際に父親が事業に失敗ので、家族はアインシュタインが学業を続けられるように遠縁の親戚に預けたが本人は家族に見捨てられたと感じていたらしい。
チューリヒ連邦工科大学を卒業後、研究成果が認められたアインシュタインは、プラハ・ベルリン・チューリヒなど様々な大学で教鞭をとった。ベルリン時代の彼の楽しみは、競艇用の小型ボートを近隣にあるハーヴェル河流域の湖で操縦することであった。しかしそんな安寧の日々はナチスの台頭で終わりを迎え、彼はアメリカに渡って行った。いわゆる頭脳流出の一環である。その後研究生活はプリンストン大学で行われた。
45年に引退したアインシュタインは隠遁生活を送っていたが、彼の築き上げた功績ゆえに新聞記者は彼を追い回した。ある日、うんざりした彼は自分がどれだけしつこい取材にうんざりしているか示す為にカメラに舌を突き出して見せたが、記者は喜びいさんで写真をあちこちに掲載してしまったそうである。
アインシュタインには孤独と孤立を好む傾向があり、家族にも愛情を傾けなかったと言われている。最後に彼が生前残した言葉を紹介する。

「私は、どんな国にも、友人たちの集団にも、家族にさえも、心から帰属したことはありません。これらと結びつくことに、常に漠然とした違和感を覚えていて、自分自身の中に引きこもりたいという思いが、年々募ってゆきました。」